小樽築港機関区

小樽築港機関区

2017年2月7日火曜日

その後の北上線・奥羽本線・磐越西線中山宿・東北本線白坂 1979.4.29-5.1

 奥中山に続く、SL全廃後の撮影記です。

 今回は1979年4月の奥中山撮影の翌日以降の記録です。

 奥中山では天気が回復したのですが、翌4月29日に向かった北上線は曇天。
 陸中川尻-陸中大石の鉄橋で列車を待ちました。

 最初は上りのDC急行。

ローカル線でも5両編成

 続いてはDD51重連牽引の上り貨物列車。


 この辺りは後日SL錦秋号が運転されたときにも訪れましたが、駅名は変わったものの、風景にはそれ程の変化が無かったように記憶しています。

 北上線はこれで切り上げ、奥羽線の院内-及位間に向かいました。

 SL時代の難所雄勝峠も複線電化され、高速で列車が通過していました。

 まずやって来たのはDC急行。

立派な軌道とトンネル

 そして、特急つばさ の通過。


 この日の撮影は以上でおしまい。

 移動やらで1日おいて、次は5月1日の磐越西線中山宿駅です。

 今回の旅行は天候に恵まれず、ここでもはっきりしない空模様でした。

 磐越西線は、北上線、雄勝峠と同様にSL時代には来たことがありません。

 中山宿駅は、現在ではスィッチバックが廃止されてしまいましたが、この頃は線路配置の面白い魅力的な駅で、何度か訪問しています。

 丁度駅近くの桜がきれいで、これを取り込んで撮影しました。

 最初はDC急行が通過して行きました。

当時の編成は長い

 続いて下り客レが駅に停車します。

左上に本線

 牽引機は試作車の901号でした。

 スィッチバックして本線の急勾配を登って行きます。

特徴ある屋根形状

 勾配をこの線のクィーン、特急あいづ が軽快に下ってきました。


 ここでの最後のカットは重連の下り貨物列車です。

右下に中山宿駅

 中山宿駅を後にし東京への帰路に着いたのですが、そのまま直帰せずに、帰りがけの駄賃とばかり東北本線の白坂へと向かいました。

 先に磐城西郷駅側から。

 在来線の特急街道なので、特急電車が次々とやって来ます。




 今度は豊原駅側へ。

 特急 はつかり が有名撮影地を通過して行きます。


 夕暮れが迫る頃、特急 あいづ もやって来ました。


このカットを最後にゴールデンウイークの撮影旅行を終え、ようやく戻ることにしました。

0 件のコメント: